宮古島 カママ嶺公園 憲法九条碑

 

 沖縄県、宮古島のカママ嶺公園にある憲法9条碑を見に出かけたのは、2010年10月17日のことだった。17日の朝、大阪の関西空港発8時の那覇行きの飛行機で、沖縄に向かった。沖縄には10時ごろ着き、午後3時過ぎの宮古島行きの飛行機で、宮古島についたのは、午後4時ごろだった。その日、民宿に泊まり、翌朝、カママ嶺公園の憲法9条碑を見に行った。
 この碑が建立されたのは、2007年6月23日とある。2007年6月22日付の宮古新報には次のように紹介されている。
『憲法9条を守り、宮古から恒久平和の心を全国、世界に発信ー。宮古憲法九条の碑建立実行委員会(中宗根将二委員長)が三月から準備を進めてきた平良のカママ嶺公園(シーサーの隣)に完成した。碑の前面には「非戦の誓い」と憲法第九条の全文が刻まれている。・・・・
 実行委員会はみやこ九条の会、ピースアクション実行委員会、自治労宮古島市職員労働組合、コープおきなわ宮古平和グループ、新日本婦人の会宮古かぎすま班の団体で構成。
 当初は、伊志嶺亮市長が選挙の公約に掲げていたことから宮古島市の予算での建立計画だった。しかし予算を請願したものの、議会で「公費での建立は相応しくない」と否決されたことから市民による建立に切り替えた。・・・・・
 建立の呼びかけでは、「今、日本国憲法を変えようとする動きが強まっている。その中心的課題の憲法九条を変え、日本を再び海外で戦争をする国にしようとしていることは明らか」と危機感を示す。また「第九条には戦争放棄、戦力不保持をはっきりと謳い、平和憲法として全世界に宣言している。第九条の精神は日本だけでなく、全世界の希求する力となり各国でこれを実現しようとする運動が大きくなっている。悲惨な地上戦を体験した沖縄県民、多くの住民と兵士が飢餓とマラリアにより亡くなったという歴史を持つ宮古島市民としては『いくさ世』の再来は絶対許すことができない」として賛同を求めた。
 実行委員会事務局長の三浦春彦さんは「みんなに見てもらえることが重要。市の協力でカママ嶺公園に建立することができてよかった。今後は碑の前で集会などをおこなっていきたい」と話した』
  カママ嶺公園は宮古島のほぼ中央にある、広々とした公園である。この日は日曜日で公園は年に一度の宮古島牛の試食会、お祭りがおこなわれる日でもあった。宮古島にこれほどの人がいたのか、と思われるほど、多くの人が公園に集まり始めていた。憲法9条碑はそのにぎやかな一角を見下ろすような高台の上にあった。
 カママ嶺公園の憲法9条碑をとり終え、図書館で憲法9条碑に関する新聞記事をコピーし終えて帰りの飛行機に乗るために、タクシーに乗った。タクシーの運転手は年配のように見えたが、私と同じ歳である、という。私も自分では若いつもりなのだが、他人からみれば、相応の歳なのかもしれない。空港に着くまでそのタクシーの運転手さんから宮古島の平和教育についてのことなどあれこれ話をしながら帰途についた。

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